御年95歳にして、まだ舞台に上がって
漫才でお客さんを笑わせ続ける内海桂子。

関東大震災の数年後に生まれ、終戦も経験しています。

彼女は若い頃を、どう過ごしていたのでしょう。

旦那の成田常也は何と24歳年下ですが
どんな馴れ初めだったのでしょうか?

調べてみました。

内海桂子の若い頃は?

50年間コンビを組んでいた、内海好江との写真です。

 

内海桂子の父親は深川の籐(とう)職人で、
母親は本所の理髪店の娘でした。

この両親が駆け落ちした千葉県の銚子市で
大正11年に桂子は生まれました。

しかし子供の頃にその父親は行方をくらましてしまい
桂子はその後母親と共に祖父の家で間借りして
暮らしていました。

桂子の母親は新しい夫と一緒になり家を借りましたが
敷金の20円を払う事が出来ないほど
お金に困っていました。

その困窮した様子を見た桂子が

「母ちゃん、そんなに困っているなら、
あたいが更科に子守に行ってやる」と自ら言い出して、

神田錦町の蕎麦屋「更科」に子守奉公する事を決めて
小学校を3年で中退してしまいました。

これ以降、学校には通っていませんので
内海桂子の最終学歴は尋常小学校中退という事になります。

しかしこの「更科」で頭に怪我を負い
わずか2年足らずで家に帰ってきて、

近所の鼻緒屋で仕事をしながら、1か月に3円稼ぎ、
月謝に1円50銭、その半分を親に渡しながら
三味線と踊りを習い始めます。

小学校を中退して、近所の店でアルバイトをして
その稼ぎの一部を親に渡して
自分の習い事の月謝も支払ってしまう。

その7年前に関東大震災が起こっており、
当時はみんなが貧しかったから、
現在ではとても考えられないほど桂子はしっかりした子供でした。

母親に「生きていくためには何か芸を身につけたほうが良い」
と言われたこともあり、始めた習い事です。

桂子が15歳の頃、同じ町内の漫才師の一家に同行して、
桂子の母が三味線を弾き桂子自身は踊りを踊って
地方巡業を回る事となりました。

その漫才師の嫁が妊娠したことで
ピンチヒッターで桂子が漫才の相方を務めました。

その相手が桂子の初代の相方となる高砂屋とし松です。

一緒に漫才をやっているうちに男女の仲になり
19歳の時に桂子はとし松の子供を宿してしまい
巡業漫才チームから抜ける事になりました。

1945年の終戦後に桂子は、吉原で団子を売り歩いたり
田原町のキャバレーで女給として働きながら
舞台に立つ日々を過ごしていました。

その時の源氏名が桂子だったそうです。

当時、三味線が弾けて踊れる女給という事で
あっという間に人気物になったとか。

後に弟子となる漫才コンビ・ナイツの二人には
「なんでもいいから一つ芸を身につけなさい」と
アドバイスをしています。

内海桂子自身が三味線を身に着けたように
芸人として道を開くためには
他の芸人には真似出来ない
何かの武器が必要だということでしょう。

その後、林家染芳(後の林正二郎)と漫才コンビを組んで、
再び男女の仲となり、未婚のまま長女を産みました。

これが内海桂子の2人の子供になります。

しかし林家染芳がヒロポン中毒になってしまい離婚しました。

内海桂子のこれまでの人生を知って
こんな感想が寄せられています。

「師匠カッコいいな(笑)子供は出来ても、旦那は奪わない。
それで、独りで稼いで子供育て上げて。
昔の女性は根性があるな。

師匠が、若い頃は女性の地位ってかなり低かったと聞きます。
それでも今は淡々と昔語りをされる師匠の肝の据わり方に
苦労を重ねたんだなと、逆に思います。
それにしても、年下のご主人も素敵な方ですね。

波乱万丈な人生を過ごして今なお現役で頑張れる事はほんま凄い!
柳家小さんやその弟子の柳家小三治、それに桂米朝に続き
桂子師匠にも人間国宝として認定してもええんじゃないか?」

内海桂子の子供は?

内海桂子は子供を3人産みましたが
それぞれ「安藤、立川、佐々木」と名字が違うようです。

漫才の舞台に立ちながら子供を育てるのは苦労の連続だった事でしょう。

子育てが大変な時は、子供の頃桂子に「働いてこい」と言っていた
母親に子供の面倒を任せたそうです。

桂子自身、国から手当をもらうのは申し訳ないと思って、
必死になって働いたとか。

人として生まれた幸せは、死ぬまで誰かの役に立つこと。
 自分の幸せだけを考えるても、何の役にも立ちゃしない
というのが内海桂子のモットーだそうです。

80年以上も現役で活躍し続ける人の考え方って、半端ないですね。

 

現在、内海桂子には孫6人、そして、ひ孫が7人います。

一緒に舞台に立った相方といつの間にか男女の仲になり
2度の出産を経験している内海桂子。

それがどうしたとか振り返る余裕もなかったと
昔の事を思い出して、桂子は発言しています。

この二人の子供の父親とは入籍していなかったようです。

内海桂子の子供についてですが、
長男は既に亡くなっているようです。

名字は、安藤を名乗っていたのではないでしょうか。

今の旦那の成田常也よりも5つも年上だったそうです。
子供よりも年下の男と結婚したんですね、内海桂子は!

旦那のプロポーズについては、この後でご紹介いたします。

 

娘の情報は全く出てきません。名前も分かりません。

生まれた年から考えると、
もし生きていれば、今年で72歳位になると思われます。

母親の事を、どう思っているのでしょうか?

 

内海桂子の孫の情報が出てきました。

孫の名前は安藤清治。
浅草で居酒屋「卯月」を営んでいるようです。
浅草の外れ、田原町に近い場所にあるみたいですね。

口コミによれば、浅草芸人御用達のお店とかで
運が良ければ、奥の座敷から内海桂子の端唄が聞こえるみたいです。

料理はメンチカツなどの、洋食メニューが美味しいようです。

内海桂子の旦那は?

内海桂子、1987年に今の旦那の成田常也と出会います。

その頃、アメリカの航空会社に勤めていた成田常也が
内海桂子へアメリカロサンゼルスでの
公演の依頼をしたことが出会いのきっかけのようです。

成田常也は子供の頃に
ラジオで内海桂子の漫才を聞いてから大ファンになり、

大人になったら生の内海桂子に是非会って話しがしたいという思いを
胸に秘めていたとか。

その後、ロサンゼルス公演の出演のお礼に桂子の楽屋を訪れた際
着物姿の内海桂子を見て一目惚れしたみたいです。

子供の頃からの憧れの女性にやっと会えたわけですからね。

その後はアメリカから国際電話を毎日1回かけて、
(電話料も馬鹿にならなかったでしょうね)
手紙も毎日1通欠かさずに送り、
一生懸命のアタックを続けたらしいです。

女性を口説くには、こうしたマメさは絶対必要ですね。

そして区切りのいい300通目の手紙に

「僕は、実はずっと前から桂子さんにお伝えしたい事がありました。
僕と結婚してください」と、やっとの思いで書いたそうです。

まだお付き合いも始まっていないのに、突然プロポーズされて
内海桂子はとても嬉しかったのですが

「私のそばに来たいのなら、日本に帰ってきて仕事をして下さい」
と返事をして、その後も2人の間の手紙のやり取りは続いたとか。

成田常也は1993年には内海桂子の専属マネージャーに就任し、
炊事・洗濯・荷物持ちを担当するようになりました。

要するに、桂子の生活の面倒を見るようになったんですね。

その後、内海桂子と成田常也は一緒に住み始めました。

同居を初めた頃は「母の遺産を狙ってるんじゃないか」と言われ
桂子の子供達は母親の再婚に反対でした。

当たり前だと思います。長男はこう思ったでしょう。

「自分よりも年下の男と母親が結婚する。
母親は長くてもあと20年もしたら亡くなるだろう。

そうしたら成田に母の莫大な遺産の
半分を渡さなきゃいけないんだろうし」

しかし徐々に成田常也の誠実さが
内海桂子の子供達に認められてゆくことになります。

成田より5歳年上で、結婚には最後まで反対していた
内海桂子の長男の病床での最後の言葉が、こうでした。

「母の事を頼みます」

そして1999年、24歳の年の差を乗り越えて結婚しました。

ネット上で 内海桂子と成田常也の
夜の営みが激しいと噂されています。

成田常也40歳、そして内海桂子64歳で結婚しました。

こんな年の差のある夫婦が夜の営みー?
って思いません?

もっともっと若くても、セックスレスの夫婦が少なからずいるのに。

しかし、以前受けたインタビューで
内海桂子自身がはっきり答えています。

ちょっと今晩あたり、しようかな~と言う時には
温泉を予約して夜の営みを行うとの事。

女は灰になるまで女、とは言いますが…。(-_-;)

自分を求めてくれる男がいるという事が
内海桂子の元気の源なのでしょうか?

 

内海桂子プロフィール

本名    安藤良子
生年月日  1922年(大正11年)1月12日
血液    A型
出身地   東京都
学歴    尋常小学校中退

受賞歴

1958年 第4回NHK新人漫才コンクール優勝。
1961年 芸術祭奨励賞受賞。
1980年 日本芸能実演家団体協議会功労賞表彰。

1982年 芸術選奨文部大臣賞受賞(漫才では初の受賞)。
1987年 第15回日本放送演芸大賞功労賞受賞。
1988年 花王名人劇場功労賞受賞。

1989年 紫綬褒章受章。
1990年 第7回浅草芸能大賞受賞。
1994年 第45回放送文化賞受賞。

1995年 勲四等宝冠章受章。

内海桂子名演集

1952年の漫才ですが、全然古びてないで、普通に面白いんですけど。

まとめ

・内海桂子の若い頃は?
・内海桂子の子供は?
・内海桂子の旦那は?
・内海桂子プロフィール
・内海桂子名演集

「私は師匠に弟子入りしたわけではないけれど、
『芸』で銭を儲ける術は、身体で覚えてきたんです」
(引用元 文春オンライン)

この方の生き様を見ると、自分の甘さがあぶりだされる感じがします。

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