インドネシアのジャカルタで開催されている
第18回アジア競技大会で28日

アーティスティックスイミング
(2017年までのシンクロナイズドスイミング)
のデュエットで、乾友紀子(井村ク)、
吉田萌めぐむ(ザ・クラブピア88)のペアが
銀メダルに輝きました。

乾友紀子の母親は、どんな人でしょう?

乾友紀子は引退を考えた事があるようですが?

乾友紀子のコーチの井村雅代とは?

調べてみました。

 

乾友紀子の母親はどんな人?

母親の名前は祥子です。

小学生の頃からシンクロ漬けの生活を
ずっと送ってきた乾友紀子ですが

ここまでシンクロを続ける事が出来たのは、
両親による支えもかなり大きかった事でしょう。

乾友紀子は小学6年生の時から
大阪の井村雅代のシンクロクラブに所属しています。

当時は、滋賀の実家から大阪まで
片道2時間かけて毎日通ったそうです。

この時の、両親の辛抱強さも
とても大事なことだったと思います。

 

当時は、ものになるのかどうか
全くわからなかったわけですから。

まさかオリンピックに出て
メダルまで取ってくるとは
思いも寄らない事だったはずです。

 

リオ五輪でペアを組んでいた三井梨紗子と共に着ていた
水着のデザインを考案したのはコーチの井村雅代でした。

そして、水着の最後の仕上げをしたのが
乾友紀子と三井梨紗子の母親でした。

井村雅代は水着のクリスタルの部分の仕上げにこだわったようで、
2人の母親にその部分の縫い付けをお願いしたとか。

 

井村雅代は、母親に縫い付けをお願いした時の気持ちを
このように言っています。

「きつい日差しに水着が負けないように
母親の強い気持ちを込めてもらおうと思って、
お母さん方にお願いしました。

プロの仕立て屋さんが縫い付ける方が
出来がいいのかも知れませんが、

2人のお母さんなら、プロの仕立て屋さんよりも
自分の子供を一番輝かせようと言う心を込めて
一針一針、縫い付けてくれるに違いないと思って」

 

更に、こうも言っています。

「水着は、あの子達にとっての「戦闘服」なんです。

様々な人の思いが伝われば、それが選手を
本番で一層輝かせる事が出来ると信じています」

 

このクリスタルをつける時、

2人の母親はどんな思いで手を動かしていたのでしょう。

 

自分の子供達が小さい頃から
遊ぶ間もなく頑張ったシンクロと、

厳しい井村雅代の練習に耐え抜いて掴んだ
五輪出場に対する万感の思いを込めて
手を動かしていたのではないでしょうか?

 

その結果、掴む事が出来た銅メダル。

2人の母親が仕上げた衣装が
大きな力になった事でしょう。

 

乾友紀子は引退する?

乾友紀子は2016年のリオ五輪で銅メダルに輝き、

それで満足してしまったのか、

その時に引退を考えたようです。

 

その時に井村雅代から、こう言われました。

「あなたには、まだ上がれる可能性があると思う。
まだまだ頂点まで登り詰めていない。

私は可能性がない子には、こんなことは言わないよ。

貴女にとっての、ここ2年半はラストスパートだった。
これからのの4年間も同じ事じゃない?
気が緩む事もあるでしょうけど」

と言われたことに翻意し、ここで引退するのはやめて、
東京オリンピックまでは選手を続ける事に決めました。

 

リオ五輪のシンクロナイズドスイミングでは
デュエット決勝のフリールーティン(FR)が行われた結果、
乾友紀子、三井梨紗子のペアは
188.0547点で銅メダルに輝きました。

 

しかし、リオ五輪で乾友紀子とペアを組んだ三井梨紗子は
五輪終了後に引退してしまいました。

三井が引退したことで、乾も同じように
引退する事が頭をよぎったのではないでしょうか?

 

でも、冒頭でお伝えしたように
銀メダルを獲得しましたから
東京五輪までは頑張ってくれる事でしょう。

 

メダルを取って喜ぶ姿も、又見たいですし。

 

乾友紀子と井村雅代の関係は?

アーティスティックスイミングの選手である乾友紀子の
小学生の時からのコーチが井村雅代です。

 

井村雅代は乾友紀子のことを「ワン」と呼んでいるとか。

その理由は、乾(いぬい)という名字を聞いた時、
頭の中に犬の姿が浮かんだからのようですね。

何というか…。

まあ、長ーい間、こう呼ばれているわけですから
乾友紀子も、流石にもう慣れたでしょうが。

 

井村雅代は、シンクロナイズドスイミングが
オリンピックの正式種目として加えられた
1984年のロサンゼルス五輪から、

自分がコーチとして携わった全てのオリンピックで、
シンクロ日本にメダルをもたらした偉大な人物です。

 

乾友紀子は、滋賀県近江八幡市出身です。

幼稚園の時にテレビで見たシンクロナイズドスイミングに憧れて、
小学1年生の時からシンクロを始めました。

井村雅代は、乾友紀子を指導している間に
この子は、日本でトップになれる足を持っている
と見極めていたようです。

 

そんな乾友紀子とペアを組んだ三井梨紗子は、東京都出身の24歳。

シンクロを始めたのは3歳の時です!

小学5年生で日本水連のシンクロエリート教育メンバーに
特例で選ばれています。

 

長い間、共に歩身を進めてきた井村雅代とシンクロ日本でしたが、
2004年のアテネ五輪終了をきっかけに、
世代交代を理由に
井村雅代は日本代表チームのコーチを退任しました。

 

井村雅代は、北京五輪で
メダルを獲得することを目標に掲げた中国から
猛烈な要請を受けて、
2006年末から、シンクロ中国の監督を務めました。

 

当時の井村雅代は、こう考えました。

「ここで自分がコーチを断れば、中国は
現時点でシンクロ世界一のロシアに監督を頼むだろう」

「仮にロシアが中国の監督となったら、
ロシア流のシンクロが世界中に影響を与える事になって、
ますます日本はロシアと戦えなくなるだろう」と、

「シンクロ日本の未来」まで見据えた上で、
中国の要請を受ける事にした井村雅代です。

 

その後、井村雅代は中国でこの上ない信頼を受ける事になって、
目標通りに北京五輪で銅メダルを獲得する所まで
中国チームを導きました。

引き続き中国を指導した2012年のロンドン五輪でも
メダル獲得という快挙を成し遂げた井村雅代は、

日本だけではなく中国においても
「シンクロの母」と讃えられました

 

こうして井村雅代が、中国などの海外でコーチを務めている間に、
日本のシンクロ代表選手は「ゆとり世代」と呼ばれる
年齢層のメンバーに全員入れ替わっていました。

 

お互いに競争しようという気持ちは全くなく、
練習中も「私1人だけ飛び出るのは嫌だ」
「みんな一緒のペースがいい」と言い、

たとえ表彰台に上がる事が出来なくても、
「私たち良く頑張ったわよね」と
お互いに自分たちで慰めあって自画自賛する姿
目の当たりにして、井村雅代はビックリしました。

 

筋トレなども、「私には、もう無理」と
まるで女優のような演技をしてサボり

練習は緊張感無しに仲良くやって、
本気で取り組む事がない…。

出来もしないのに「自立」を主張して、
コーチの指示を全く聞かず、
「緊張するのイヤだから」と大会の本番直前まで、
みんなで楽しく、おしゃべりをやめない。

 

自分と真剣に向き合いもしないのに、
掲げている目標だけはご立派という姿勢に
肝を冷やした井村雅代は、

 

この子たちの考え方は全部ゆとり教育の弊害と思って
一から競争心を植え付けるなどの、
シンクロ日本代表選手としての、心のトレーニングを
当面の課題として行いました。

 

脂肪がつきすぎていた選手達の体を引き締める所から始まった
シンクロ日本の改革でした。

 

スタイルの美しさを厳しく追求する井村雅代は、
乾友紀子のふくらはぎを鍛えて絞り込み、
三井梨紗子のO脚を筋トレによって矯正しました。

 

鬼コーチ・井村雅代の猛特訓に耐え兼ね、
何度も涙を流したという乾友紀子・三井梨紗子の2人です。

「他に人材がいないから
仕方なく2人でデュエットをやっているの、貴女たちは」
と初めは厳しい事を言っていた井村雅代も、

乾友紀子と三井梨紗子の頑張る姿を見て、
貴女達が本当の日本代表」という太鼓判を押して、
たまには2人をほめるようになりました。

 

お休みはお正月だけ、というような
井村雅代のスパルタ指導に耐えた「マーメイドジャパン」は、

リオ五輪で8月16日、
井村雅代の66歳の誕生日に
メダルをプレゼントすることができました。

 

2020年の東京オリンピックの構想も、
少しずつ始めているという井村雅代です。

 

乾友紀子名場面集

 

乾友紀子プロフィール

生年月日:1990年12月4日(27歳)

出身地: 滋賀県近江八幡市

サッカー選手の乾貴士は乾友紀子と同じ
滋賀県近江八幡市出身ですが、
2人は、何の関係もありません。

身長:  169cm

体重:  55㎏

所属:  井村シンクロクラブ

高校:  近江兄弟社高校
メンソレータムの会社と同じグループの学校です。

大学:  立命館大学経済学部

職業:  アーティスティックスイミング選手、芦屋大学職員
大学の職員をしながら、選手をしているんですね。

まとめ

シンクロナイズドスイミングと言えば、
小谷実可子を思い浮かべてしまいますが。

乾友紀子も、東京オリンピックの時に
演技で僕たちを楽しませてもらって
メダルも取れれば良いですね。

スポンサーリンク